私の父
2019年1月14日に
最愛の父が空へ戻っていきました。
目を閉じて思い浮かぶ父は
夏の暑い日も冬の寒い日も
いつも私たち家族を守るために働いている姿です。
ゆっくり休んでいる時間よりも
家で仕事をしている時間、畑をしている時間が何よりも
長かったような気がします。
また、自分の気持ちを表現することが
得意ではなく、口数は少ない代わりに
家族だけでなく近所の方にも身で施をしていました。
そんな父親に異変が!
娘が幼い頃、旅行へ行き
みんなで一緒にプールで泳ごうと
プールへ行くと泳ぎが得意だった父が
泳げなくなっていました!
その時はそれほど気にはしていませんでしたが
徐々に表情や身体に異変を感じ
病院を受診したところ
パーキンソン病であることがわかりました。
それが今から8年くらい前のことです。
その後の父
それ以降の父は年齢による衰え以上に
身体の衰えが早くなり、
徐々に身体が不自由になっていきました。
18歳からおおよそ50年間
大型トラックから乗用車まで
ほぼ毎日運転してきた父が
運転する側から乗せてもらう側に変わり、
一人で自由に外出していた父が
母や家族が介助しながら外出するようになり、
一緒に旅行へ行ったり、
私の家に遊びに来てくれたり
していた父が家から出れなくなり、
一人で入れたお風呂
一人で着れた服や靴下
一人で食べることができた食事が
母や家族にしてもらうようになりました。
父と家族の関係!
今まで家族のみんなは父にしてもらってばかりでした。
しかし、病気が発症して衰えていく父に対し
次第に家族が変わっていきました。
どちらかというと男性的だった母が
父に寄り添うようになり
両親とコミュニケーションや関わりが希薄だった
私をはじめ兄妹の関わりが深くなり、
家族みんなが父に優しい言葉かけたり
笑顔や愛情を注ぐようになっていました!
その時間をもう少し長くなるように、
つまり食事ができて
少しでも長く生きることができるように
父は2年前に口頭全摘術という
声を失うことと引き換えに
気道と食道を一緒にする手術
を決断しました。
その結果、入退院を繰り返しながらも
私たち家族とのかけがいのない
時間と絆を作ってくれました。
父にとって最後になった
今年のお正月も家で家族と過ごし
父が望んでいた通り
家で最期を迎えることができました。
父からのメッセージ
父が空へ帰って行った翌日
不思議な体験をしました!
父が私のもとにスーッとやって来て
あるメッセージをくれました!
これは目に見えるものではなく
ラジオの周波数が合って
ラジオの音声が聞こえてくるような感じでした。
そのメッセージは、
私が結婚し、妻が家族になってくれたことで
戦争で幼い頃に父を失い
母一人、四人兄弟の元で育った父が
忘れかけていた
その母(祖母)からの優しさや愛を思い出したそうです。
その理由は、私の妻がいつも父だけでなく
家族に対しても優しい言葉をかけてくれたり、
笑顔で優しく接してくれるからです。
そして、
父は病気になることによって
身体は痛みを伴い、
不自由になってしまったけれど
私たち家族から
「優しい言葉や笑顔そして愛情を
存分注いでもらって本当に嬉しかった!」
「本当にありがとう!」
と喜んでくれていました!
そのメッセージを受け取った瞬間から
それまで冷静だった私の胸が熱くなり
涙がこみ上げ
こらえきれなくなった涙は溢れ
頰をつたい
ためらうことなく泣いていました。
そして、私も父へ
「45年間育てていただきありがとうございました!」
「父と母のもとに生まれてきたことに感謝しています!」
と何度も何度も繰り返し言いました。
そして、最後に父が笑顔で
「もう一度、お雑煮が食べたい!」
「お餅ときな粉も一緒に添えて!」
と言いました。
慌てて妹に連絡し
お雑煮一人前を作ってくれました。
そして、家から出棺する前に
ご霊前にお雑煮をお供えすることができました。
最後に
この世に生きることは全てが学びと言います。
今回の話はプライベートなことで
書くことを躊躇しましたが
目の前に起こることがあまりにも苦しくて
耐えらない時もあります。
そんな時に
全ては自分にとっての学びであることを
少しでも多くの方に
知っていただけたらと思い書かせていただきました。
短い時間軸で見たときには良くないことも
長い時間軸で見ると必ず良いことになります。
最後まで読んでいただきありがとうございます✨